平等とは何か?「不時着」

活動

 閉鎖空間に迷い込んだ集団があります。助けが来た時のために,みんな活動せずにジーと待って,体力を温存することにしました。

 食事の質と量はみんな同じです。しかし一人だけたくさんの水を飲み,たくさんの量の食事をしています。

 「なんでそんなにたくさん飲食するの?」と,集団の一人が文句を言いながら彼にそっと理由を尋ねたところ,脱出経路を探したり作っていることが分かりました。尋ねた人は納得し,不平不満は消えました。

 別の人が同じような不平不満を彼に放ったところ,理由が分かり,同じように納得し,不平不満は消えました。

 活動量が多ければ多いほど喉が渇き,活動に応じた食事が必要です。

 彼の飲水量と食事量は,事情を知っている人から見ると平等ですが,事情を知らない人から見ると平等ではありません。

監視者

 全員が事情を知ったので不平不満は消え,全員が平等を感じました。

 これからは,活動をする人は宣言することになり,宣言せずに活動する人がいないか,監視する人を作りました。

 同時に,いろいろなルールを作りました。

 知ったので平等と感じましたが,知らなければ平等と感じません。

 ルール破りが発覚したので監視者が罰を与えるなら,特権を持っているのですから平等ではありません。

 そもそも「監視する人」が出た時点で,みんなと違うのですから,平等ではありません。

 みんなで罰を与えるにしても,監視者の通報により,残りの人達は知るので,監視者は知らせ,残りの人達は知らせを受けます。知らせを受けた後は平等でも,知らせを受ける前は持っている情報が同じではないのですから,平等ではありません。

 集団のすべてが監視者になり,一人のルール破りを発見したので,残りの人達に通報すれば,ルール破りをした人には通報しないのですから,平等ではありません。

最後

 ルール破りをした人がいました。ルール破りした人を含むみんなに通報したところ「自分がルール破りをしたから罰を受けるのはわかるが,『ルールを破ったから』を理由に一人ずつ粛正して,集団が二人まで減ったとき,国へ帰れず,国の憲法や法律が行き届かない場所で,極限状態における善悪の判断はどちらがして,どちらかが判断した時,二人は平等と言えるのか?」と主張しました。

 平等とはなんでしょう?

 お釈迦様は「生まれに身分の高い低いは存在しない」という主旨で,平等を説いたんじゃないかな。

 別の展開

 知った人が出た時点で,知らない人が出てしまい,平等ではなくなりますが,知れば,知らない人が出るのは当然なので,「『知らない』に関する不平等問題は『時間』である」と定義して,「『知らない』が不平等に当たらない時間の長さ」をみんなで協議したところ,各自がバラバラの時間の長さを主張し始めました。

受取る側 「思考や価値観が個人で違うなら『同じ』ではない。同じでなければ平等ではないので(?),平等にする試みは『人は平等ではない』を証明している。人によって持っているもの(知識,技能,経験,環境,境遇,個性,身体的特徴などなど)が違うのに同じものを与えるのは平等ではない。人に合わせて違うものを与えるのが『平等』である」
支給する側「いや,分け隔てることはしたくない。すべての人に同じものを支給することが『平等』である。支給する側と受取る側が存在する時点で平等ではないので,こちら側に合わせてほしい。資金量は関係ない」

 『平等』より『対等』だと,自分は思います。

補足説明

 参考映画「飛べ!フェニックス」1965年公開 原題「The Flight of the Phoenix

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